Engrave with!!
手彫り工房ブログ

手彫り工房のオフィシャルブログです。金属彫ってます。彫ってます。

学校の勉強は、反復をいかに効率よく行うか、だった。

2015
21
こんにちは。


勉強は、2種類に分けられる。
知識を学ぶか、技能を学ぶかだ。

勉強は2種類に分けられる



ごめんなさい。ちょっとカッコよく言ってみたくなっただけです。
この言い回しに深い意味はありません(笑)


学校の勉強は、知識重視


もちろん、応用となると知識だけじゃダメな場合もありますが、
基本となるとほとんどが知識です。

漢字、英単語、数学の公式、・・・・。あげればキリがないですね。

逆に、技能的な部分はいいかげんだった記憶があります。
美術の授業とか、適当にやってって~みたいな感じでしたし。


知識「だけ」じゃ役に立ちにくいということに気づこう


知識だけでも役に立つことはそりゃあります。
でもね、それだけでは役に立ち「にくい」ことも事実です。

簡単な例は英語です。
マイナーな英単語をたくさん覚えてテストで高得点とっても、外国人と英語で会話できるかと言われたらできないわけです。
外国人との英会話というのは、技能の部分もかなりを占めます。

数学だってそうです。
公式の知識だけでは、「数学的なものの見方」みたいなものは身につかないです。

社会だって、歴史の年号や何が起こったかを覚えるだけでは、いわゆる「歴史から学ぶ」ことは難しいでしょう。


人によっては、技能から勉強した入ったほうが良い。


例えば学校で英語の赤点をとるような人も、
外国人の前に出したらなんか身振り手振りでコミュニケーションをとれてしまう場合はあるんじゃないかと思います。
一度そうやって英会話(?)をしたら、本物の英会話をしてみたい、先を見てみたいとなります。

今のは適当な例えですが、まずは技能から入るというのも一つの選択肢です。
少なくとも技能から入れば、英単語は腐るほど知っているのにまともに英会話できない、みたいなことは防げますよね。

技能は忘れないという意味で裏切らない。


知識は忘れます。
私は記憶力はたいして良くないので、昔学校で勉強したようなことはかなり忘れています。

しかし、技能についてはそうではない。
一度自転車に乗ったら10年後も乗り方を忘れないように、技能は忘れないという点で裏切りません。


学校の勉強は、反復をいかに効率よく行うか、だった。


学校のテストは、一応知識を詰め込んでおけばそこそこの点数は取れました。
難しい問題も、解き方を覚えてしまえばいけます。

ものを覚えるには、いかに反復を効率よく行うかが重要です。

例えば、電話番号です。
子供のころ使い続けた家の電話の番号は、今も忘れていません。
これは何回も書いたり、聞かれたり、プッシュしたりしたからです。
逆に、今の携帯電話の番号はそういった機会が少ないため、時々思い出せなくなることがあります。

学校の勉強というのは、とにかく反復!で良いので、教える側としてはある意味楽なのです。
それに対し、英会話を教える、というのはかなりハードルが上がります。


技能は単純な反復だけじゃない。


技能には試行錯誤が必要です。
ただ教えられたことを繰り返すだけだと、やっぱり忘れていきます。

自転車の乗り方を覚えるのも反復ではあります。
でも、「どうやって自転車に乗るの?」と聞かれてもスラスラとはでてきにくいです。

体がぶれないようにとか、怖がらないでとか、もうちょっと思い切ってこぐといいとか。
それで、ホントは何を覚えればいいの??と。
これを覚えれば良い!ということが一般的な勉強に比べてあいまいです。

いろいろ言ったところで、結局は体で覚えるしかありません。
ただ、アドバイスを意識して練習を反復すれば、覚えるのが早くなります。
腕をこう動かすように意識して、近くじゃなく遠くをみるように意識して、などです。


知識の学び方を教えるのと同じくらい技能も



勉強なんかしても意味ないじゃん、と子供はよく言います。
私もよく思っていました。面倒くさい宿題を出されたときに(笑)

これは、半分正解です。
勉強した知識の内容は、大人になったらかなり忘れます。
それだけ不必要であるということです。

でも、知識の勉強の「仕方」は残ります。
あ。この勉強したいな。というときに、その知識を覚えるためのやり方は知っているわけです。
「この知識を覚えるためのやり方」とは、すなわち技能です。
知識を覚えるというための技能ですね。



結局、私たちは知識を覚えるというテイで、技能を覚えていたのです。
もちろん、常識とかそういった意味で知識が無意味とは言えません。
が、しょせん最後に残ったのは技能じゃないか、と思ってしまう私がいます。

その一方で、技能を身につける、という技能は学校では非常に身に付きにくい。
本当は、技能と知識を一体として学ばなければならないのに、そうなっていない。


それで、実際どうするか。



いや、無理ですね。
制度を変えても、有名無実で終わるでしょう。

そもそも、技能は個人の特性みたいなものが深くかかわってきます。
普段から空想とか妄想みたいなのをしている人は、きっとお話を作る技能を身に着けやすいです。
体を動かすのが大好きな人は、運動系の技能を身に着けやすいです。
当然ですね。

でも、いってみれば、
空想・妄想が好きな人にも運動系の技能を身に着けさせる。
のが学校です。
基本的にみんな同じカリキュラムなので、技能を身に着けるのには向いてませんね。



私の結論は学校の「領分」を減らすこと


どうせ不可能なら、もう「学校」という組織をガッツリ削って、第2の教育機関をつくるしかないでしょう。
午前学校で知識、午後はその第2の教育機関で技能、ってな感じです。

現在、技能を身に着けようとしたら、親が子に試行錯誤を繰り返すような何かを与えるしかありません。
習い事は、微妙です。言われたことをただ言われた通りにトレースするのとは違うのです。
有り体に言えば、技能を身に着けるうえでは成功の数より失敗の数のほうが本来多いのですから。
ポンっとだされた正解をその通りにマネして正解では、ダメです。

繰り返し言いますが、知識と技能はセットなのです。
漢字を知っていても、文章が書けなければ、学ぶ意味は半減です。
文章を書くなら、試行錯誤を繰り返します。
ここの表現がとか、ここの言い回しが、みたいなことを言いながら失敗しては書き直します。





まぁ、こんなことを思うのは、私が要領の悪い人間だからかなぁ、とも思いますね。
学校では、反復を効率よく行う技能は身に着けることができました。



それでは。